自己紹介

私が早稲田大学に行きたいと思ったのは、野球がきっかけでした。

小さい頃から、プロ野球選手になることが夢で、
中学の頃にプロ野球に入るためには、高校で活躍するよりも大学で
活躍する方がプロ野球には入りやすいのではないかと思っていました。
それは、ドラフト会議を見ると毎年のように早稲田大学や慶応大学からの
指名があったからです。
そのころは、どちらかというと慶応大学からのドラフト指名に強い憧れを
抱いていました。

高校に入ってから、プロ野球に入る夢は断念することになりました。
しかし、通っていた高校では早稲田大学へ行きたいと思う人がほとんどで、
次第に早稲田大学へと憧れは変わっていきました。
しかも、それは憧れというよりも、『早稲田大学』に絶対に行こうという
強い意志に固まりました。

高校1年、高校2年の時は、『早稲田大学』に入るということは自分の
気持ちの中では決めてはいたものの、全くといっていいほど勉強はして
いませんでした。
というよりも、当時は勉強が嫌いで、やる気がなかったのです。

高校3年になって、予備校の模試を受けて愕然としたことがありました。
偏差値が37!?
それまでは、50弱ぐらいだったのに・・・。
みんなが、受験勉強を始めたのに気付き、慌ててました。
そして、高校3年の夏にようやく、私の大学受験生活が始まりました。
電車の中では英語、数学と化学は学校の授業と自習室で、家では物理という
生活が約3ヶ月。
偏差値は60ぐらいにまでなり、 この頃には、それまでの勉強嫌いが
まるでウソであったかのように、すんなり勉強と向き合えるようになって
いました。
しかし、それで安心し、少し気を抜いてしまったことと、過去問の対策は
まったくしなかったことで、見事に玉砕してしまった・・・。

こんなはずではない・・・と思いつつ、1年の予備校通いが始まりました。
予備校では、4教科全てを1からやり直す覚悟で、それまで以上の
モチベーションで机に向うようになり、浪人したからには、『早稲田大学』に
入らないわけにはいかないという自分へのプレッシャーもあったと思います。

そして、いよいよ受験・・・。
そして、合格発表・・・。

あった!!
ついにやったぞ!!という歓喜がこみ上げてきた。
そして、それは慶応大学の時よりも、上智大学の時りも、同志社大学の時よりも、
立命館大学の時よりも、その他どの大学の合格よりも心の底からうれしかった!!
そして、約1年半という努力が報われた時であった。

あと、これは私の実感したことですが、受験を始める前に何かに熱中していた人は
成績も伸びやすいということです。
部活だけでなくてもいいので、勉強以外に熱中できるものを見つけておくことも
重要なことだと感じました。
 
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